2026年8月に執刀した手術は、①白内障手術 53件、②白内障硝子体同時手術 18件、③硝子体単独手術 7件、④硝子体手術+眼内レンズ強膜内固定術 1件(眼内レンズ脱臼)、⑤緑内障手術 1件(プリザーフロマイクロシャント)でした。
さて、眼科分野において世界トップクラスの論文雑誌である『Progress in Retinal and Eye Research』に、多焦点レンズにおける患者満足度に関する総説が掲載されました。この論文のテーマは、白内障手術や屈折矯正手術(RLE)で用いられるプレミアム眼内レンズ(多焦点レンズや焦点拡張型レンズ)における「患者報告アウトカム(PROMs)」です。
(Patient-reported outcome measures after multifocal and extended depth of focus intraocular lens implantation in refractive lens exchange and cataract surgery. Prog Retin Eye Res. 2026)
1. 論文の背景:なぜ今「患者報告アウトカム(PROMs)」なのか?
従来の眼科治療では、手術後の成功基準として「視力検査表で1.0が出たか」という客観的な数値データが用いられてきました。
しかし、プレミアム眼内レンズの普及に伴い、臨床現場ではあるギャップが問題視されるようになっています。それは、「視力検査の数値(1.0など)は非常に良いのに、患者本人は見え方に満足できていない」という現象です。
PROMs(Patient-Reported Outcome Measures)とは?
PROMsとは、医師の主観や検査機器の数値ではなく、患者自身がアンケート形式などで「自分の視界の快適さ」「メガネへの依存度」「生活の質(QoL)」を直接評価する指標です。
Progress in Retinal and Eye Researchの論文は、「これからの眼内レンズ選択は、視力数値だけでなく、PROMsを中心に据えて意思決定を行うべきである」と提唱しています。
2. プレミアム眼内レンズの「技術的トレードオフ」を解剖する
プレミアム眼内レンズを選択する上で避けて通れないのが、レンズごとの特性とトレードオフ(トレードオフの法則)です。
現代の医療技術でも「遠く・中間・近くのすべてが完璧に見えて、夜間の光のノイズも一切ない」という理想的な単一レンズは存在しません。
【見え方のトレードオフ構造】
近方視力(手元の見やすさ:回折型が得意) ◀━━▶ 見え方の質・夜間見え方(ノイズの少なさ:EDOFが得意)
① 多焦点(3焦点)レンズの特徴
- メリット: 遠方・中間・近方(読書や手芸)のすべてで高い視力を提供し、メガネ離脱率は90%近くに達します。
- デメリット: 光の回折・屈折構造を利用するため、夜間に車のライトなどの周囲に光の輪が見える「ハロー(Halo)」や、光が放射状に伸びる「スターバースト(Starburst)」、眩しさを感じる「グレア(Glare)」といった異常光視症(ディスフォトプシア)が一定程度生じます(以前の回折型と比較すると軽減はしてきています)。
② 焦点拡張型(EDOF)レンズの特徴
- メリット: 焦点の「奥行き」を広げる設計で、遠くから中間距離(パソコンや車のダッシュボード、料理時)までをシームレスにカバーします。コントラスト感度(明暗のくっきり感)が高く、夜間の光のノイズが大幅に抑えられます。
- デメリット: 3焦点レンズに比べると「真の近方(細かい文字)」の解釈力は控えめになるため、長時間の読書などでは薄い老眼鏡が必要になることがあります。
3. 手術後の満足度を落とす「4大併存疾患」と対策
論文では、レンズ自体の性能だけでなく、「患者の目の下地状態」がPROMs(満足度)に大きな影響を与えることを強調しています。特に以下の4項目は、術前のスクリーニングとケアが不可欠です。
① ドライアイ(最重要リスク要因)
涙の膜は、目に入る光を一番最初に屈折させる重要な「光学レンズ」の役割を果たしています。 ドライアイで涙の層が不規則になると、多焦点レンズの光の分け方が乱れ、著しい視力低下や不快感を引き起こします。「術前にドライアイを徹底的に治療しておくこと」が、満足度向上の最大の鍵とされています。
② レーシック(屈折矯正手術)の既往歴
角膜の形状が削られているため、レンズ度数計算の誤差が生じやすくなります。また、角膜高次収差(歪み)が増加しているため、回折型多焦点レンズ(を入れるとコントラスト低下が強く出やすい傾向があります。
③ 飛蚊症(硝子体混濁)
目の中の浮遊物が光を散乱させるため、多焦点レンズ特有の「ハロー(光の輪)」を増幅して感じさせてしまい、神経順応(脳が慣れること)を邪魔してしまいます。
④ 黄斑疾患(加齢黄斑変性・黄斑前膜など)
網膜の中心部である黄斑に病変があると、レンズが持つ微小なコントラスト低下と病気による視力低下が相乗効果を起こし、見え方の質が大きく損なわれます。
4. 脳が新しい見え方に適応する「神経順応(Neuroadaptation)」
手術直後に「光の輪が気になる」「少し見え方が不自然」と感じても、焦る必要はありません。
論文では、脳が新しいレンズからの視覚情報を処理してノイズを無視するように学習するプロセス「神経順応(Neuroadaptation)」の重要性についても述べられています。
- 適応にかかる期間: 通常は数か月(場合によっては6〜12か月)かけて、脳が徐々に光のノイズを意識しなくなっていきます。
- 適応を妨げる要因: 「術前の説明不足による不安」や「過度なストレス」「重度のドライアイ」があると、脳がノイズに過剰に意識を集中させてしまい、順応が遅れることがわかっています。
5. 満足度を上げるための「個別化(パーソナライズ)レンズ戦略」
論文の結論として、すべての患者に共通する「最高のレンズ」は存在せず、患者一人ひとりの生活様式に合わせたカスタマイズが推奨されています。
| ライフスタイル・希望 | 推奨されるアプローチ・レンズ選び |
| 夜間運転が多い・長距離ドライバー | 光のノイズ(ハロー・グレア)が極めて少ないEDOFレンズや単焦点レンズ |
| PC作業・デスクワーク・料理など | 中間距離の視界が非常に自然なEDOFレンズやFull Visual Range(FVR)レンズ |
| スマホ作業・手芸・読書・手元の作業を優先したい | 近くのピントが最も強い3焦点(多焦点)レンズ |
| バランス良く全領域をカバーしたい | ・片眼に「3焦点」、もう片眼に「EDOF」を入れる「ミックス&マッチ(Mix-and-Match)」法 ・両眼にEDOFを入れるが、左右で度数の差を多少生じさせる「マイクロモノビジョン」法(今回の総説には記載はありませんが、手法としては普及してきています) |
特に最近では、左右の目で役割の異なるレンズを組み合わせる「ミックス&マッチ」「マイクロモノビジョン」戦略によって、両眼のシナジー効果で手元から遠くまでを見渡しつつ、夜間の不快感を和らげる手法の評価が高まっています。
まとめ:満足度の高い手術を受けるために
今回の論文が提示した最も大切なメッセージは、「手術前に患者と医師が期待値とリスクを正しく共有すること」です。
- 自分のライフスタイル(運転頻度、PC時間、読書の有無など)を正確に医師に伝える。
- ドライアイなどの持病があれば、手術前にしっかり治療しておく。
- 完璧なレンズは存在せず、見え方には脳の慣れ(神経順応)が必要であることを理解する。
これらを意識して診察に臨むことが、手術後の満足度を高めるために必要だと考えられます。
※ 当院では、これらの知見をもとに、患者様毎の要望を掘り下げて確認することに加えて、多焦点レンズを希望される方には術前にドライアイ管理を行うこと、硝子体混濁が目立つ方は、手術後の見え方によっては硝子体手術を検討することなどをしており、できる限り手術後の満足度を高めるよう心がけています。